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2008年9月27日 (土)

勉強は年収のためなのか?という疑問の原点

私の現在の収入源は吹けば飛びそうな中小企業勤務のお給料ですが、ライフワークというか実家の家業の縁で、仏教を学んでおります。ビジネス的に考えたら、伝統仏教の寺院なんて衰退産業の筆頭格であり、年金制度同様に抜本的な改革の無い限りは将来性の無いこと甚だしく、金銭的に考えたら「そんな沈み行く船に乗ってるなんて経済合理性に欠ける行為だ、いますぐ脱出してもっと稼げる業界へ移れ」ということになります。でも、宗教ってそういうものなんだろうかと・・・。
潰すべき衰退産業であるとしたら、ビジネス(収入源)としても成立する寺院経営を考えるためにビジネス書を読む、ということをしたって無意味です。自由主義経済の合理性の立場からは、将来性も収益性もない産業の企業は早く潰してしまって、衰退産業から新しいビジネスに人的資源や資金を集中すべきだ、と言われます。その通りだとしたら、寺院なんてとっとと潰してしまえということになります。実際放っておけば、30年後くらいにはどんどん潰れていくでしょう。そう思ってるなら、この「沈みゆく船」からは一刻も早く脱出すべきなのか?
・・・脱出すべきだと言われても、できません。これは経済合理性では考えられない。

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