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2008年9月21日 (日)

つなぐものと分断するもの

今日、友人と話したこと。

萌え話から重い話(?)まで多岐に渡るいろんな話が出ましたが、その中で「反社会的・反人道的な事象の中に萌え対象を持つこと(それを表明すること)は許されるか?」という話題が出まして。そのとき私が感じたことが…

スポーツや芸術、音楽はよく「言葉の壁/民族の壁を超えて」分かり合えるから素晴しい、みたいに言われるじゃないですか。確かに具体的に考えてみても、例えば、韓国に対して漠然と良くないイメージを持ってる人がいたとして、ある時フィギュアスケートという競技が好きになって、国際大会を観戦する中でキムヨナちゃんの演技に惚れて、それまでの反韓感情に穴が開く…とかいうことはありそうです。(この例は、私がたまたま女子フィギュアを好きなので出してみました。別にアメリカだろうがロシアだろうが中国だろうが、陸上だろうが水泳だろうがテニスだろうがサッカーだろうがバレーだろうが、その部分は何でも置き換え可能なので、それぞれ自分が好きなジャンルに置き換えてお読み下さい。)

そして、政治や民族紛争・戦争っていうのはその反対の効能を持つものだよなあと思いました。それは確実に人を分断するもの。500年1000年も経てば客観的な歴史の教訓としてとらえることもできるけど、やっぱ数十年では、感情というものは消えない。そこはやっぱり配慮というものが必要でしょう。人間だから。感情の生き物だから。機械じゃないから。

当時は忌み嫌われていた人が英雄になったりもするあやふやさを持ってるのが人間。良くも悪くも。100%の悪人も100%の善人も居ないのだから、その人の別の側面が見出されて評価が変わることもあるだろうし、単にその時の政治の思惑によって奉りたてられたり、貶められたりって恣意的に扱いを変えてしまうのも人間。

スポーツや芸術が人をつなぐものなら政治の思惑や戦争は人を分断するもの。

オリンピックはかなり政治の道具(国威高揚の道具)にもなってるので、スポーツの面と政治の面が入り乱れたイベントだと思います。

ただし政治が「分断するもの」なのは今現在が国境線に区切られた国民国家システムで世界が成り立っているからですね、きっと。ロバート・クーパーが「国家の崩壊」で述べているようなポスト近代的な国家間同盟によって国境を超えてつながれる世界になったらまた違うのではと思いますが。

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