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2012年9月

2012年9月 2日 (日)

学習量/読書量と年収に相関は無い

前から思っていること。

例えば。
学校を卒業して定職につかず(つけず)、コンビニ店員バイトフリーターという2人がいるとして、片方は、一応肩書きは高卒だけど底辺校出身で、小学校の算数でつまづいたくらい勉強が苦手。英語で言えば「hisって何ですか?heと違うんですか?」とか。なぜ日本で非正規雇用が増えてて給料が上がらないのかなんて、そのような社会の趨勢があることも考えたことも、そもそも「非正規雇用」なんて言葉も知らないまま、ただ流れに任せて今の状態にいる。もう片方は、有名大卒で勉強も読書も好き、「フラット化する世界」とか「ハイ・コンセプト」とかしっかり読んでいて、20世紀型のナレッジ・ワーカーは海外にアウトソースorコンピュータに代替されるから先進国の中流向けの職は減ってるし、単純労働の賃金は世界標準に収斂していってるんだから仕方ないよなあ・・という認識を持っているとして。

この2人、内面的には社会に対する認識は全く違うけど、外から見たら、置かれている立場も給料の安さも同じ。この場合、内面の認識の違いに意味なんかあるのかなっていう疑問。ニュースを読み、本を読み、学び、世界の政治や経済の構造を知ったところで、現状が「社会のシステムなんて考えたこともない」人と同じ低賃金労働だったら、結局は学ぶことに意味なんかないのか、それとも、同じ境遇でも、「わけもわからずただそこにいる」のと「自分の立ち位置を客観的に把握していること」の間に違いはあるのかな?

今の50代社員は日本社会全体の高度成長の流れに乗ってるうちに就職できて、読書などの自分を磨く努力は全くせずただ会社と家の往復で与えられた業務をこなすだけの人でも、バブルまでに上がりきった昇給があるので30代の倍とかもらってたり。でも今の20代なんかは、意識的に学び続けているような人でないとそれなりの企業の正社員になんてなれないでしょうし、ただ流されていたら間違いなく非正規一直線。こういう「不平等」は良い悪いでなく社会の現実なのだけど、そういうことを知ってはいるけど結果的に低賃金労働になっている人と、知らないで低賃金労働に甘んじている人に差はあるのかな?という疑問です。

私自身、読書や社会構造を知るのは好きだから、ダニエルピンクの「ハイ・コンセプト」「フリーエージェント社会の到来」、クリス・アンダーソンの「フリー」とか読んできたけど、自分の実生活では、製造業の小企業の社員で、新卒で前の会社に入って以来、給料は全く上がっていない状態。 今の仕事(職種)は積極的に好きでやっているので、別の業界や職種に移りたいとは思わないんだけど、これはゆでカエルなんだろうか?今の仕事、単純労働ではないんだけど、資金力のない零細企業ゆえ、会社全体が昇給しないんだよね。前の会社は昭和時代は上がってたらしいが、バブル以降はほとんど昇給しなくなったので、年に1000円程度・10年間で1万円(年収換算で12万円!)の昇給なんか、 ボーナスが出るか出ないかであっさりふっとびます。今の会社は本気で1円も昇給しないし(笑)

英語もそうで、海外の一次情報を直接読めるようになって(海外のニュースサイトが読める、英語の原書が読める)精神的な満足感はものすごく上がったけど、英語ができるようになったからといって年収は1円も上がっていないわけで、実利は無いんです。いや精神的な満足感は大事だと思うので、英語できるようになったことが無駄とは全く思っていませんが。英語ができるようになって、人生の主観的な満足感はかなりアップしました(⌒_⌒)

個人的には、直接年収には反映されなくとも、世界の仕組みがどうなってるか分からないままに「わけもわからずただそこにいる」人生は精神的に耐えられないので、読書や英語学習は、生活レベルを上げるためではなく、好きで(趣味で)やっているのだと思っています。常に自分の立ち位置は今の世界のどこら辺にあるのかって気になるから、本を読む。
「ハイ・コンセプト」のような本を読んでるだけで「えらいね」「すごいね」とか言われることが時々あるのだけど、いや社会の仕組みを知ったところで、自分の生活の向上には直結しませんから・・・。直結しないけど、私は、気になるし知りたいんだもの。でもこれって無駄なの??

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